静御前

美貌と才芸、優雅と勇気といった諸美徳を兼ね備えた、日本の理想的女性「静御前」の話は、歴史書『吾妻鏡』・『平家物語』や『義経記』などにある。

 その「静」が、源義経・源頼朝の対立後、義経が京都で頼朝の刺客に襲われた時は、いち早く襲撃を察知し、沈着・機敏に義経を助けた。また、義経勢が吉野に潜行したときも、女でただ一人これに従った、最も義経を信じ愛した女性として描かれている。
 文治二年(一一八六年)頼朝方に捕まり、頼朝・政子夫妻や鎌倉諸将の居並ぶ、鶴岡八幡宮で舞を命ぜられた時に、
『吉野山 峰の白雪 踏み分けて入りにし人のあとぞ恋しき』と、

義経への愛を切々と歌い、頼朝を怒らせたが、政子のとりなしで事なきを得た。

 まもなく生んだ義経の息男は、頼朝方によって殺され、失意の中、母と共に京都に帰り、その後、義経を恋い慕い、侍女を従え、岩手県平泉に、義経の後を追おうとしたが、義経の死を聞き、精根尽き、生きる希望さえなくし、剃髪し尼となった。
 やがて、浮世から身を隠すように京都を去り、諸国を流浪し、云い伝えのある、当地(徳佐・片山)そうけ(笊笥)庵にて、母子・侍女と共々ひっそりと、その悲恋の幕を閉じた。

   源義経(一一五九年〜一一八九年)
   静御前(生没年不詳)

墓所
ブロンズ像
御前墓地 調査